暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

受験生の親としての思い

やはり年をとると時間の経過が早いなーと思うのですが、昨日は娘の高校受験の日でした。他にもう一校。そして最後に公立高校の共通試験があるため、第一段という形です。いつもながら、自分のこと以上に緊張してしまうのは、親ならではなんでしょうか。とにかく、行きたいところに行けて、やりたいことがやれる結果となって欲しいものですね。そんなことを考えながら、ふと自分自身の「受験」というものを思い出してみました。

まず高校受験について。偏差値云々というものはあったんでしょうが、俺は全然気にしていませんでした。と言うのも、自宅から徒歩3分くらいのところに公立高校があって、そこ以外に行くつもりはまったくありませんでした。理由は「近いから」ただひとつ。1分でも長く朝寝たかったという邪な動機です。結果、その年は定員割れであったこともあり無事合格し、5分前の予鈴を聞いてから登校する高校生活を3年間謳歌しました。

次に大学受験について。歴史が好きだったので、元々は史学を志望していましたが、学校での勉強以外に受験勉強などというものはまったくしなかったため、一番行きたかった大学の学部には行けませんでした。まぁ当然です。高校と同じく、そこ以外には行くつもりが無かったので、フリーターでもしようかなと思っていましたが、ありがたいことに担任や親に説得され、滑り止めで受かっていた大学の心理学科に入学し、結果的にそれが今の俺の仕事に繋がる第一歩となりました。

就職については “さらに” という状況です。大学3年の夏頃から周りが就職活動を始めるなか、髪の毛を黒く染めたりリクルートスーツを着て、黒一色で説明会に行く様が、俺のなかで「量産型」に見えて辟易していたからなのか、その流れとはかなり距離をとっていた記憶があります。『就職できなくても生きていければいいや』くらいの気持ちでした。今の会社はたぶん大学4年の年末ごろに大学の就職サポートセンターから紹介を受け、仕方なしに受けたら、何故か合格しました。内定を受けるなんて思っていなかったので、その連絡を受けてもぎりぎりまで承諾の回答をしなかった記憶があります。どこにも縛られずフットワーク軽く動くのが心地よかったので『えー、働くの嫌だ』という気持ちで。当時の人たちには、本当にすいません。

しかし、こうして振り返ると、とても運であったり周りの人であったりに恵まれてきたことを実感するというひと言に尽きます。なんという流れに身を任せたままの生き方。しかし、それをあらためて受験というものに当てはめると…まぁどう転んだとしても、成るように成るんでしょうね。

おそらく今必死な受験生には余計なんですが、経験則からの話をすると、別に希望校に不合格だったからといって、それまでのことが否定される訳じゃないし、反対に合格だったから成功でもないというありきたりな話がズバリだと思います。どういう結果であったとしても、自分が成功だと思ったらそれは成功でいいのではないかな。受験に臨む緊張感やピリピリした雰囲気、不合格だったときの挫折感、自尊心の傷つきなんて、本人たちは嫌でも感じてしまうもんなんだろうから、自分への戒めも含め、周りくらいはそれくらいリラックスして受験生を見てあげて欲しいです。もちろん、親として先に達成感や成功体験が養われることを願ってるのは言うまでもないですが。

受験生の皆さん。皆さんの受験がどうか成功しますように。