暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

鑑了 いまを生きる

最近「片っ端から」という表現があながち間違っていないくらい、連日アマプラで映画を見ています。鎖骨骨折により身体が思うように動かないストレスを発散するためなのか、それともそういうときだからこそインプットしまくりたいと脳が欲しているのか、理由はよく分かりません。まぁ基本凝り性なのでしょう。今はそういう時期なんだと思います。

そして今回見た映画は「いまを生きる」

1989年の映画で脚本はトム・シュルマン。監督がピーター・ウィアー、主演はロビン・ウィリアムズ。高校時代からの親友が、当時人生のベスト3に入る映画だと言っていたのを思い出し、そういえばじっくり見たことないよなということで、夜な夜な鑑賞することにしました。

以下、あらすじ。(参照 Wikipedia

1959年、バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新学期に、同校のOBである英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してきた。ノーラン校長(ノーマン・ロイド)の指導の下、厳格な規則に縛られている学生たちに、キーティングは「プリチャードの教科書なんか破り捨てろ」と言い放ち、詩の本当の素晴らしさ、生きることの素晴らしさについて教えようとする。ある日の授業では、キーティングは突然机の上に立ち、「私はこの机の上に立ち、思い出す。常に物事は別の視点で見なければならないことを! ほら、ここからは世界がまったく違って見える」と話す。生徒も机の上に立たせ、降りようとした際には「待て、レミングのように降りるんじゃない! そこから周りをきちんと見渡してみろ」と諭す。キーティングの風変わりな授業に最初は戸惑う生徒たちだったが、次第に行動力を刺激され、新鮮な考えや、規則や親の期待に縛られない自由な生き方に目覚めていくのだった。(以下、割愛)

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主演のロビン・ウィリアムズが亡くなったのが2014年なので、それからもう10年も経つことに少々驚いていますが、これが25年前の映画であっても名作であることに変わりはないことがよく分かりました。まさに青春映画。なぜ中学生や高校生のときに俺はこの映画を見てなかったのだと後悔するほどの作品でした。

今のハリウッド映画のように、決して派手さはないですが、今の若者に対しても、そのメッセージは十分に伝わるのではないかと思います。例えば、授業でアメリカの詩人たちに詩を引用するところがあるんですが「バラのつぼみは早く摘め。時は過ぎ行く。今日咲き誇る花も明日に枯れる」という詩。要するに「明日も咲いているかどうかは分からないから、そのバラは早く摘んでしまえ」という意味になりますが、もっと言うと「明日になったらどうなるか分からないのだから、今やりたいことをやろう」となり、これをさらに簡単にすると「いまを生きる」となります。ロビン・ウィリアムズ演じるキーティング先生は、授業で生徒たち(を通じて見ている我々)に『自分のやりたいことをやる』大切さを伝えてくれます。

最後はかなり衝撃でしたが『勉強して良い大学に行って、良い仕事に就くのが正しい』と考えている親とぶつかるシーンも、自分の学生時代を思い出してしまいました。今、親の立場になってそう考える心理も分かりますが、もっと自分の可能性を信じて我儘しても良かったのかなと思う部分もあり……なんとも言えない複雑な思いがこみ上げてきます。

他人のことは気にせず、自分のやりたいことをやって「いまを生きる」ことの大切さ。頭では分かっていても、なかなか行動に起こせないことが多いと思います。俺自身も、どちらかというと頭で考えてばかりで行動に起こすのは苦手な部類の人間です。しかし今だからこそ思いますが、それをやって失敗しても唯一許されるのが、きっと「若者」という存在です。もちろん「今が楽しけりゃ何やってもいい」なんていう退廃的な考えが良いというのではなく、怖いもの知らずでチャレンジすることの大切さと言うのでしょうか。

もう40歳にもなった男が「いまを生きる」なんて言ってチャレンジするのはどうかという話なので、せめて自分の子供たちには、とにかく”食わず嫌い”にならず、何にでチャレンジして欲しいところですね。失敗して傷ついて、それが治って、また傷ついて、なんとなくそれを重ねていくことが人としての”深み”に繋がっていくのではないでしょうか。今更もうあの頃には戻れないからこそ、それならぜひ俺もキーティング先生みたいな存在になりたいです。

ありがとうございました。