暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

決裁書は上司へのラブレター

「ええかDr.KJ、決裁書は上司へのラブレターと一緒やと思え」

これは、俺が10年以上前に現場の部署から管理部門へ配置換となった際、今でも尊敬してる当時の上司から教えられた言葉。決裁書、会社によっては稟議書とも呼んでると思う。組織として何か物事を進めていこうとするときに、その意思決定を記録に残す書面。これだけデジタルが進んだ世の中なので、その決裁の方法は押印以外にもいろんな方法があるんだろうけど、私の会社はなんせ古いので、勿論ながら決裁は書面への押印となる。

それで決裁書なんだけど、会社のルールとして「意思決定はすべて決裁書をもって行う」というものがあるので、とにかくその量は多い。新たな企画や広報、対外部組織への発出、行政との協議等々以外にも、内部的なものでもすべて決裁書により取り進める訳なんだけど、なかには本当に軽微なものもあって、書面を作成しながら「ここまできっちり記録に残さないといけないのか?」なんて疑問に思いながら、全然身が入らず回議しちゃうものもあったりする。振り返ってみると、勿論俺自身にも。そして、そんなときに上司から言われたのが冒頭の言葉。

当時はまだ若かったので、その意味をしっかり理解できてなくて、単にその上っ面だけを捉えて「誤字脱字や間違いがないように丁寧に文書を作りなさいってことかな?」と思ってたけど、今、反対の立場になってみてすごく良く分かる。

上司といえど、その仕事に長けてるという訳ではない。会社としての正しい判断をするために、それが出来る人をそのポジションに置いてる。係長はその係の判断をするし、課長はその課の判断をするし、部長はその部の判断をする。そして社長は会社全体の判断を、という具合に。なので、決裁書はその判断を正しくしてもらうために作らないといけない。たまにいるんだけど、やたらと小難しい言葉を並べる人。反対に何が聞きたいのか読んでても全然分からない人。日本語としての意味が通ってない人。などなど。そういう場合はズバズバと訂正を入れるし、場合によっては差戻してやり直しさせる。まずひとつ目の意味としては、読み手が分かるように書いてねという意味でのラブレター。

次にふたつ目。それはタイミングだと思ってる。例えばだけど、朝の通勤電車に乗り遅れそうなとき。見たいテレビドラマがあるから早く家に帰りたいとき。ゴリゴリに忙しくて今そんなことまで手が回らないよってとき。そんなときにラブレター渡されたら、どんなにタイプの子だったとしても時間とって読まなくないですか?タイミングってのはそれと一緒。出勤直後、始業前の時間で仕事の準備が全然できてないときだったり、重要な会議が始まる少し前だったり、あとはもう全部片づけて帰ろうとしてるのにってときだったりに『決裁してください』って書類を持って来られても、まともに相手できると思う?できてしまう聖人君子みたいな人もいるんだろうけど、上司だって人間だからね。そういうときマジでイラっとしてしまう。反対にこのタイミングがこっちに息ピッタリだと、多少言葉遣いが間違ってたり、文章に訂正が必要な箇所があったりしても「次から気を付けなさい」って決裁できてしまう。(もちろんそれで決裁して大丈夫なものに限る)

この言葉を思い出してブログ記事にしてるということからお気づきかもしれないけど、実はこれでまだ悩んでるんです。当たり前のように終業後に決裁書を持ってくる人。それも一度や二度ではなく…。さらには翌朝一番で『あの決裁書の●●のことですけど』と、確認してて当たり前のように話を持ってくるもんだから、上司としては少したまらない。注意すればいいんだけど、そうしたら反対に『どんなに遅くなってもいいから今日中にその決裁書は回してちょうだい!!』ってのまで翌日回しにされそうな気配が漂う。0か100か、黒か白かじゃなくグレーな部分を残したいというのか、ケースごとに判断して欲しいというのか、決裁者の立場になって考えて欲しいというのか、なんだろうかこのモヤモヤした気持ちは。

で、その辺を気付かせようなのか癖付けさせようなのかは分からないけど、最近試してること。それはズバリ自分本位に持って来られたときはその場で決裁せずに預かる。つまり保留にする。「あー、私は終業後には決裁しないよ。だから時間内に持って来なさい」というのを暗にアピールしてるつもり。なお、今のところ効果はまだ皆目出ていない。。。

しかしこの辺のことをすべてひっくるめて、ラブレターという言葉で説明してくれた上司。あらためて思うとさすがだなーと思う。そんな上司に俺もなりたいがために、日々奮闘中です。