暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

上司の評価よりも会社の評価を大切に

今日は仕事での評価を考えるという話。最初に断っておくと、俺が完全なマネージャー職ではなくプレイヤー職も多分に残ってる立場なので、少し抽象的だったりピントがずれた話になってしまうかもだけど、そこは個人ブログなのでご容赦ください。

 

その昔、入社直後に現業部門の兵隊として仕事してたとき、今思えばそれが糧となった。反面教師だった。とは言えるんだけど、ことごとく「はずれ」な上司だった。いわゆる『手は絶対に出さないけど口だけはやたら出す』傲慢な人だったり、重箱の隅をつつくような揚げ足とりばかりの指導だったり、それこそ”歩くハラスメント”と形容できるような性格に難ありの人だったり。

そういった人たち、今の俺の価値観を持ってして振り返っても、絶対に「仕事ができない」上司であることは間違いないと思ってるんだけど、管理部門に配属されると、その辺の内情が見てくなくても見えてくる。(見えてくるというより、その管理をするのが仕事になるので…)

それで、あるとき過去の人事評価記録してたら、たまたま俺が現業部門だったときの年度の資料を見る機会があった。正直言うと興味半分の気持ちがあったことは否めない。だからついつい必要な資料を確認しながら、その「はずれ」上司が当時どんな社内評価を受けてたのかも見てしまった。こちらとすれば、マネージャー業務がろくに出来てなかったんだから、「そりゃ相当に低い評価でしょ」と思ってたんだけど、びっくり!

 

...評価S

 

どうやら当時の社内では、その「はずれ」上司は『部下を厳しく管理して業績を上げた』と評価されてるようだった。「あれだけ部下が苦しんでたのにそりゃないだろ」というのが、まず正直な感想。そして仕事とはいえ嫌なもの見てしまったという嫌悪感。この会社は大丈夫なんだろうかという不安。しばらくモヤモヤした記憶がある。

 

さてさて、それから年数が経ち、立場が変わった現在。相変わらず「あのときの上層部には見る目が無い」という思いに何ら変化はないけど、その評価がくだされた過程については少し理解が及んできた。部下に対しては、まったく下手な対応しかできなかった「ハズレ」上司だけど、上層部から求められたことは十分に理解できてたんだろう。それに対して独り相撲して、部下から総スカンだったというだけ。

俺なりにこのことを咀嚼した結果、当時は「誰に仕事を評価してもらうのか」「何が評価される仕事なのか」がしっかりと理解できてなかったのかなと思うようにすることにした。「ハズレ」であっても評価してもらわなきゃならんのはこの上司だし、どんなに仕事観が合わなくても、そのときはこの上司が求める仕事をしなきゃならない。コンプライアンスとか倫理に関わることなら別だけど、個人事業主じゃなくて組織人だからね。

ただひとつ言えることは、会社での評価軸はひとつなはずだから、組織として自分が求められてることを、とにかく早く気付いた方がいい。それが分かれば、上司の「あたり」「はずれ」なんて、そこまで気にならない。上司に評価されなくても、会社に評価されれば良い訳だから。そう思えるようになってくると、自然と上司とのやりとりにも強くなれる気がするよ。

最後に、俺が今、会社のなかで求められてること。なんだろうかなーと考えてみる。部下とオムライス食べながら。またその辺は思いついた時に書いてみます。でわ。