暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

発想の転換

鎖骨を骨折してからというもの、仕事でお会いする方々へ与えるインパクトは強烈なようで、ある意味で良かった。この姿を見るなり「どうされたんですか?」という問いかけから始まり、「実は自転車で転倒して鎖骨を粉砕してしまいまして…」と返す。「そんな大変なときにすいません」とくれば「いやいや、病室にパソコン持ち込んで仕事してたくらい社畜ですから笑」と返す。「けど利き腕が使えないと不便ですね」とくれば「左手も使えるようになれてラッキーですよ」と。。。

要するに初めてお会いする人でも"つかみ"に困らない訳だ。それでいて「●●会社で鎖骨を骨折してたDr.KJさん」と繋がるので、しばらくの間は連絡をとるたびにその話題でつながる。どちらかといえば普段からビジネスライクで必要以上のことを話さない(話せない)俺からしたら助かる。なるほど、悪いことばかりでもない。

 

さて、前段はさておき、これも仕事でとある人とお会いしたときに『なるほど』と思った話。

 

その日も同じように商談室に入り、お久しぶりですというような取り留めもない挨拶をした後は、いつものように話題は俺の鎖骨骨折話に。事故のときの状況を話したり、その後の手術の話を聞かれたりしながら、「こんな忙しいときにこんな大怪我するなんて、ついてなかったです」と言うと、その方から返ってきた言葉。

 

「そんなことないです。すごい強運の持ち主だと思います」

 

俺が少し「???」となっていると、続けて

 

「そんな事故に会いながら、鎖骨は骨折されたものの命に別状なく、大きな後遺症もなく、こうしてお仕事に戻ってこられてるということは、Dr.KJさんがとてつもなく強運を持っておられるからだと思います」

 

もしかすると俺を励ます意味でそう言ってくださったのかもしれないけど、なんかその言葉を聞いた瞬間、俺の気持ちの奥底にあったモヤモヤがすーっと無くなった気がした。自転車で転倒。しかもただの通勤中に転倒してこの大怪我。家族はもちろん、上司や同僚、新人の部下にまでとんでもない迷惑をかけたおし、実はその情けなさから自己嫌悪に陥ってたし、術後の状況も良いとは思えず、不定期で襲ってくる激痛に正直滅入ってたところだった。だから『こんな考え方もできるんだ』と若干の衝撃。

 

商談のその後は特に具体な案件が進む訳でもなく、また次回にということで終えたんだけど、俺の頭のなかではその言葉が何度も繰り返し流れてた。もちろんその言葉そのものを自分の気持ちに落とし込むために咀嚼してたこともあるし、俺が反対の立場だったときにそういうこと言えるだろうか?いや、そういうこと言えるようになりたい。そんな感じで。ぐるぐると。



今年でついに40歳になってしまった俺。もう40歳になったからと守りに入るのか、まだ40歳だからと攻めに出るのか、どちらの道を選ぶのがこれからの人生にとって楽しいのか、もう一度よく考えてみたくなった。もちろん、まずは身体を元に戻すためにリハビリ頑張るのが第一優先だけどね。