暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

鎖骨骨折 仕事復帰

仕事復帰 令和5年11月6日(月)

[手術から6日目]

骨折した鎖骨の痛みはもちろん、手術したときの傷そのものもジンジンと痛かったんだけど、事務作業くらいなら大丈夫という主治医のOKを貰い、三連休明けから仕事には復帰した。普通なら自宅から会社まではバス(事故の日は自転車だったけど)と電車を乗り継いで約1時間の道のり。さすがに満員電車にはまだこの身体で乗る自身が無かったので、しばらくは妻に送迎をお願いした。実は長女が生まれて半年後くらい、自分自身が25歳のときにもバイク事故で1か月ほど休職。その後しばらくの間は送迎をしてもらってたので、実は今回が2回目。本当に手のかかる夫ですいません。

 

朝はいつもだったら家を出てた朝6時半頃に起床し、左手のみでの着替え、洗顔、整髪、朝食や歯磨きなど、とにかく倍くらいに時間がかかる準備をこなし、7時半に出発。車に乗るのは退院のとき以来。走行時の振動にひとつずつ悲鳴を上げてた状況だったので、かなり不安要素ではあったんだけど、そこはまぁなんというのかロキソニンパワー。お得意の「そのうち慣れるやろう」精神を発動してみました。

 

会社につき、恐る恐る事務所のドアを開けると、ちょっとした歓声。「本当に仕事に復帰してきた」という驚きと「なんと痛々しい格好…」という哀れみと「やっと戻ってきてくれた」という安堵感。本音を言えば、せめて退院後の初外来の日くらいまでは自宅でゆっくり静養したかったんだけど、残念ながら繁忙期の我が部署。そんなことも言ってられない状況は承知してたので。

そんなこんなで、出勤後は荷物を整理したり、上司に復帰の報告をしに行ったり、約10日分ほどたまった決裁書類に押印したりと、さっそく仕事にとりかかった訳なんだけど、右手が使えないことでやっぱり困ったことが2つ。字がかけないということ。そしてパソコンのマウスとキーボードが使えないということ。パソコンの方は入院中も左手だけでそれなりの業務はこなしてたんだけど、やっぱり会社でする仕事とはボリュームが全然違った。左手タイピングなんかじゃ全然追いつかない。

だけど救いだったのが、少し前に会社から支給されてた有線のキーボードとマウスから、自分で調達したワイヤレスキーボードとトラックボールマウスに変更してたこと。そのおかげで、トラックボールマウスをアームスリングで固定した右手で操作し、ワイヤレスキーボードを膝の上に乗せる姿勢で、まだなんとかなった。

 

 

全然だったのは字を書くこと。デジタルの処理が多くなったとはいえ、まだまだ手書きが残ってしまってる我が社。そしてスケジュール管理や思考の整理、備忘録メモは今でも手帳派な俺。右手は動かせない訳じゃないんだけど、肩が動かないから何せ書く姿勢になれない。強引に書ける姿勢になると鎖骨が痛い。左手で書けなくないけど、大切な手帳にミミズみたいな字でメモするのが気持ち的に許せない。そんな感じだった。

 

 

本当なら初日は慣らしというかリハビリというか、そんな感じになるんだろうけど、冒頭でも言ったとおり、なんせ繁忙期な部署。部下が一人で頑張ってくれてた仕事のチェックをし、明日からのスケジュールを組みなおし、遅れてしまった自分の仕事を盛り返すために気合を入れなおす。そうこうしてるうちにお昼休憩、午後の仕事と時間は過ぎていき、あっという間に時計は19時。さすがに10日ほどほぼ寝たきり生活だったのと、右腕の重怠い感覚に疲労も覚え、この辺で復帰初日は店じまいすることに。

 

帰りはまた迎えに来てくれた妻の車で帰宅。不思議と仕事で張りつめてたときは気が紛れてた痛みが倍ほどになって押し寄せる感覚で、久々に体力ゲージもゼロに。とにかくこの日の感想をひとことで言い表すなら「精疲力尽」、これかな。

しかし仕事があるということは有難いことなんだけど、こういうときつくづくプレイヤーじゃなく早くマネージャーになりたいと思うよ。

次回は退院後、最初の外来の日のことを思い出して書きます。