暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

鎖骨骨折 外来1回目

退院後初めての外来 令和5年11月14日(火)

[手術から14日目]

退院時に設定されていた外来は14日(火)の9時からの予約だった。その日は午前中に半休を取り、妻に病院まで連れて行ってもらった。その道中に見る景色はまさに退院日以来。車の助手席から眺めてるとパブロフの犬ではないけど、気のせいか身体のなかから骨折後の痛みが疼いてくるような気がした。

 

病院到着後は外来の手続きへ。なんせ病院嫌いなもんで全然今の仕組みを分かってないんだけど、もはや受付のお姉さんに診察券を渡して番号札を貰うなんていうアナログな方法は一切無いのね。入口横にあった機械に診察券を入れると、その日の受診内容が記載されたカルテが出力され、そこに記載されている2番という案内に従い、番号が表示された場所までカルテを持っていく。そしてカルテを出すと「まず4番でレントゲン撮ってきてください」との声かけ。もちろん検査室との連携もばっちりみたいで、到着するやいなや、ほとんど待つことなくレントゲンまで撮影。この間、わずが10分足らず。

昔々、これは30年くらい前か。小学5年生のときに左足くるぶしを骨折したときは毎回外来で1時間単位の待ち時間が発生してたことを覚えてたので、すごく拍子抜けした感じがした。

 

主治医の先生からお呼びがかかったのも、あっという間。診察室に入るとレントゲン写真を見せてもらいながら『特に問題はなさそう』との説明。退院後の状況を聞かれたので、言うことは言って聞くことは聞かないとと思い、

「傷の痛みは慣れてきた気がするけど、重怠い状況が続いていること」

「肘を伸ばすと上腕から手首にかけて電気が走るような感覚があること」

「そろそろ電車通勤をしようと思っていること」

「リハビリとしてどのようなことをすればいいのか」

このあたりのことを順番に聞いた気がする。

 

主治医の先生曰く

「(手術までする患者のなかでは)全然若いから焦らなくていい」

「負荷をかけるのはまだ禁忌だけど、腕は動かせる範囲で動かして構わない」

「上腕はおそらくずっとアームスリングをしてた影響ではないか」

「ぶつかられたり転倒に気を付けさえすれば電車通勤もOK」

ということだった。

 

そしてそんな会話をしながら、傷口の確認。問題無しということで、防水テープを剥がして消毒。『傷口見れないと思うんで、良かったら写真撮りましょうか?』と言ってくれたので、遠慮なくお願いすることにした。てっきり手術の傷口は縫うもんだと思ったら、これで大丈夫なんだね。そして2週間でこの状態にまで戻るとは、人間の身体って凄い。

 

 

診察時間についてもそんな長くかからず、9時40分くらいにはすべて終了してたと思う。それからは、念のためお守り代わりのロキソニンを処方してもらい、会計を待って終了。次回の外来は約1か月後の12月5日(火)とのこと。

 

さて、電車通勤の許可も出たので、そのために揃えた通勤グッズを少し紹介します。それまでは自転車に乗ってたこともあって第一優先は両手が開くこと。つまりリュックで通勤をしていました。だけどしばらくそれは押し入れにしまい、片手で持てる&左肩にかけられるトートバッグを探していたところ、セールで少し安くなっていたこともあり、MURAの本革トートバッグを購入。これがなかなか気に入ってます。

 


 

 

 

軽いか重いかで言うと、そりゃ本革なのでやや重め。だけど革もしっかりしてて自立はバッチリ。内ポケットもA4サイズが1つ、スマホサイズが2つ、チャック付きが1つと決して多くないけど、その分、自由度高く使えるので自分にはちょうど良かった。もちろんお弁当箱に500mLのタンブラーもギリギリOK。財布や文庫本もジャストで入り、これまで使ってたリュックと同様の収納力だった。強いて言うなら、その重量を片腕で持つので、あとは自身の筋力が戻るのを待つくらい。

 

少しずつ。ほんとに少しずつだけど、日常を取り戻すために足掻く毎日。時間は戻せないけど、今でもなぜあのとき自転車で転倒してしまったのか分からない。あの事故さえなければ、きっと順調に年末の繁忙をこなし、コロナ禍明け初の年の瀬の雰囲気を味わえてたのにと思うと、気分も滅入ることが多いけど、そういうときこそこう思うようにしてる。

 

生きてて良かった。