暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

ゆっくりでもまっすぐ進む奴が強い

これは会社で昇任するときの話になるけど、会社員人生のなかで、どこかで自分自身の殻を破るタイミングだったり、誰かに引き上げてもらえるタイミングっていうものがあると思っている。俺は今考えてみると、ひとつ前の部署のときにそれがあった。

自分で自分自身の若手時代を振り返ってみると、俺はどちらかといえば「文句たれ」な社員。その理由が若気の至りなのか、体質が古いのか、はたまた両方なのかは分からないけど、会社と同じ方向は全然向いてなかったと思う。

ところがあるとき、部署でNo.2のポジションの人からの仕事を請け負うことがあった。内容は雑務といえるものだったと思う。他の社員はあまり良い顔せず、露骨にそれを敬遠する者もいるなかで、俺はその依頼を普通にこなした。特に顔にも出さず。そのことが良かったのか、それともまた別の部分を気に行ってもらえたのかは分からないけど、それからは俺の仕事ぶりを買ってもらえるようになり、だんだんと部署のなかでも立場があがっていった。そして、最終的には役職がついていない社員のなかの筆頭となり、そこからさらに評価してもらって今の部署に異動となった。

ちなみにそのNo.2の人は俺が異動する1年前に退職したんだけど、そのとき、最後の置き土産として二人きりのときにこんなことを言われた。

 

ゆっくりでも普通にまっすぐ前に進んでる奴が一番強い。

 

それから10年以上が経ち、今はその言葉の意味がすごく良く分かる。同期入社した社員は、ひとり、またひとりと退職してしまったり、様々な理由で主要なポジションから外れていってしまった。俺が入社した当時に上司だった社員も、経営層の意に沿わないことをして左遷されたり、セクハラやパワハラでアウトになったり、あとは役職の重圧に耐えられずメンタルダウンしてしまったり…。

ただし、まっすぐ進むのもかなり難しくて、そのときの世情や経営層の考え方、あとは自分自身の家庭状況とかの要素も影響するから、「まっすぐ」と表現してるけど実はそれも正確じゃない。もしかすると、その時々の真ん中を進めるよう調整していけるかどうか、という方がしっくりくるかもしれない。幸いにして、俺は今のところ順調にその船を渡っているらしい。そういう意味で『なるほど、まっすぐ進む奴が強いというのはこういうことか』と、今になって思っている。

だから、仕事や人間関係で悩んだり伸び悩んだりしてる部下や後輩には、俺もその言葉を最近受け売りのように使うようになった。次のアレンジを加えて。

 

ゆっくりでも真ん中を進め。
端にいるやつはそのうちに落ちていく。

 

どうか自分なりに噛みしめて欲しい。