暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

自分が意識してること

細々と読書や映画の感想をブログ記事にし、鎖骨骨折からの日常を記録しているうちに、少しずつ「文字を書く」という感覚を取り戻してきた。決して自分自身の文章が上手いとは思わないので、あくまでも自己満足の世界。けどお金もらってる訳じゃないので、それでいい。とはいえ、ある程度はテーマを広げていかないと、ネタ不足に陥り、またブログから遠ざかってしまう気がする。そして、今度こそ一度離れてしまうと二度と戻れない予感もする。なので、あまり乗り気はしないけど仕事の話も書いていこうと思う。最初に断っておくけど、あくまで経験談

会社員生活も、色んな偶然が重なり、気づけば結構長く続けられている。新卒で入った会社が今年で確か17年目。クソみたいな労務環境だった現場から、強烈なハラスメント上司がいた事業所、反対にノリが良く楽しかった部署、色んなところを経て今は管理部門にどっぷり。それぞれの配属先でしてた業務は当然異なるんだけど、幸いにも入社してから今まで継続できたこと。それは「仕事の量」を意識するということ。質じゃないよ。量ね。ボリューム。

少し自分自身の自慢をすると、俺は「これ誰がするのさ?」って仕事は絶対手あげてやってきたし、専門外のことでもむしろ「珍しい経験できてラッキー」くらいに思ってた。あとは上司のやってる仕事にもやたら興味があって(それは今でもだけど)、生意気にも上司の仕事を先にやっちゃったり…。これは性格もあると思う。それにもちろん今は労務管理も厳しくなってできないけど、昔々は結構ザルだったから、朝8時から夜23時とかまで普通に仕事できたことも今とは違うとこ。

 

こういう話をすると、いわゆる『昭和の働き方』をアピールしてるように聞こえるんだけど、俺が言いたいのは決してそこじゃない。言いたいのは、毎年のように新卒で入ってくる若手たち、コスパとかタイパだけで目の前の仕事を見てるのは勿体なくない?ってこと。

仕事なんて筋トレと一緒で、3か月とか半年くらい地道に続けて、初めて見についていくもんだと俺は思ってる。いきなり80キロのバーベルがベンチプレスで上がらないのと一緒で、まずは軽い重量からとにかく上げる。それを継続する。もちろん1~2週間で形だけはできると思うよ。けどそれは仕事じゃなく作業なんだよ。

そもそも、新人の頃なんて大した結果は求められてない社会人で一度しかないチート期間なんだから、非効率でも不細工でもいいと思う。とにかく数をこなして自分から経験値を稼ぐ努力をしないと。考えてばっかりで動き出さないと、それこそ機会(時間)が減ってくばっかりにならないかな?

 

たまに『Dr.KJさんって、どうやってその仕事できるようになったんですか?』って聞かれることがあるけど、そういう子たちにはこう答えるようにしてる。

 

「とにかく量をこなそう。その量がやがて質になるから」

 

そして、人によって次の言葉を補足してる。

 

「あと、今こなす”量の差”=”同期との差”になるよ」

 

これが正解なのか不正解なのかは分かりません。あくまでも俺のやり方。色んな考え方があるから、始業から終業まで拘束されて給料もらうだけで十分。残業だとかプラスαの仕事なんてしたくないってのも、別に間違ってないと思うよ。けど一日の1/3を費やしてる仕事に関して、より自由度を求めるなら裁量が増えた方がいい。作業だとその裁量が限られるから、早く仕事できるようにならなきゃ。

 

何度も言うけど、あくまでも俺の主観です。

 

 

 

最後に、この前いただいた文具を紹介。友人の結婚式の内祝いでカタログギフトをいただき、CROSSの万年筆に引き換えた。アラフォーにもなったことだし、大事な書類には何百円のボールペンじゃなく、万年筆使おうと思って。

いざ手元に届いて使ってみると、これまでなんで手を出してこなかったんだろうという書きやすさ。全然書く力がいらない。(万年筆ってのはそういうものらしいけど)そして事前と綺麗な字を意識的に書くようにもなる。

あとは手帳に書けるくらい極細のがあったら言うことなしなんだけど、それは仕方ない。けどひとつこういうのを揃えると、革のノートだとかペンケースだとか、あとはシャーペンもちょっと高級なもので揃えたくなるのは、俺の性格だろうな。究極言うと、良いモノだけを最低限持ってるミニマリストに憧れる。そんなこの頃。