令和5年11月29日
[手術から30日目]
日に日に良くはなっていってるんだろうけど、痛みの方は前進や後退を繰り返している。少しマシになったと思い、例えば両手でのキーボードや右手でのマウスの操作。あと手帳に少し長めの文章を書いたりすると、やっぱり右肩にはとんでもなく違和感が出てきて、最終的にはそれが激痛に変わってしまったりする。結局は騙しだましという感じでいくしかないんだけど、その日は少し無理してしまったのかもしれない。
夕方17時頃、マウスを操作するために右腕を動かすと、上腕二頭筋から上腕、手首にかけて鋭い痛みが走った気がした。いつもなら少し休んでると元に戻るんだけど、その日は全然。むしろ痛みが増してくばかり。少し気を紛らわそうとロキソニンを飲んでからデスクを離れ、事務所から廊下に出た瞬間に、それは来た。
言い表すとすれば、前から槍で右肩を突き刺されてるような痛み。筋肉か靭帯か、何かがひっくり返ったというのか、腕が外れたようなというのか、とにかく腕を少しでも動かそうもんなら脂汗が出てくるような状況。響くので、そこから一歩も歩けない。思わず廊下の壁を背に倒れこむ。
周囲からは「多少のことでは顔色変えずに普段から仕事してる人」という評価な俺ですが、そんな俺の尋常ではない様子に気づいた部下が椅子を持ってきてくれ、人通りも気にせず座り込み、だらんとした右腕を左手で支える。
「大丈夫ですか?」という問いかけには、
「右腕が痛くて怠い」「とにかく痛すぎて千切りたい」という物騒な回答。
今思い返すと、心配かけないためにもう少しユーモア交えた答えをすべきなんだろうけど、そのときはほんとにそれが本音だった。それくらいの激痛。
その後、騒ぎを聞きつけた上司の計らいで、しばらく休憩室で休んでおくことになった。ソファに行儀悪く寝そべり、腕にかかる重力を無くすと、痛みはいくらかマシになり、『あれ、大丈夫じゃん』と起き上がると激痛がぶり返す。そんな状態を繰り返しながら、結局はしばし目を瞑っての休息、というより軽い気絶。だいたい1時間ほどゆっくりとしていた。
そうこうしてるうちに18時を回り、さすがにこのままじゃダメだと思い気合を入れなおす。やっぱり起き上がると激痛には変わりない。けどロキソニンが効いてきたのか、ひっくり返ったような感覚だった靭帯なのか筋肉なのかが元に戻ってきたのか、ややマシな気がした。
『もう動くとしたら今しかない』
今日ばかりは仕事も全部明日に持ち越し、周囲に心配されながらも、そそくさと帰宅の途へ。いつもなら5分もかからない最寄り駅までの道に10分弱かけ、ちょうどホームに入ってきた電車に乗り込む。しかし、それもまた良い判断とは言えなかった。
満員ではないけど、なかなかの帰宅ラッシュ…
こちらとて毎日のことだし、最初から譲って欲しいオーラを全開にするつもりは無いんだけど、その日は状態が状態だけに、本当に座りたかった。だけどやっぱり世の中ってそう甘くないと言うのか、想像以上に他人に関心がないというのか、みんな興味があるのはスマホの画面のなかだけで、学生から会社員と思しき人に至るまで、漏れなく見て見ぬ振りされてしまった感覚だった。
もちろん俺の状態が足の骨折で松葉杖してるとかじゃなく、アームスリングした状態だったということもあるんだろう。
『腕だから立ってるくらい大丈夫でしょ』
きっとそう思った人が大半なんじゃないかな。俺も逆の立場だったらそう思ってた気がするよ。
結局その状態は、会社の最寄り駅から自宅の最寄り駅までの電車。そこから自宅近くまでのバスでも続き、振動で激痛が走る状況のなか、最後まで座れずに立ちっぱなしという、手術後からこれまでで一番悲惨な状況だった。
ここで言いたいのは、そんな目にあったという同情を集めたい訳でもなく、その電車やバスでスマホに集中してた人を非難する訳でもない。経験値っていうお話。席を譲るって、俺も少ないながらも何度かしたことあるんだけど、声かけるまではめちゃくちゃハードル高いのは良くわかる。断られたらどうしようとか、別に自分じゃなく誰かが席代わるんじゃね?とか、そんな心理が働くし。けど、その辺をサラッとできちゃう人って、やっぱり自分自身だったり、周りの人から聞いたことを経験値に出来てるんだろうなーって思った。
昔、松本紳助というテレビ番組でで島田紳助さんが『街中で人の迷惑も考えず大きい声で携帯で喋ってるオッサンに怒ったらあかん。人間が初めてなんや』と言ってたのを思い出したけど、正にそんな感じ。
色々あるよね。けどこの状況はきっと自分自身をひと回りもふた回りも成長させてくれるために神様が与えてくれた試練。この経験を経て、自分がどう変わっていけるのか、それを記録するためにも、この鎖骨骨折日記を書いてこうと、あらためて思ってます。今日はそんな感じで、取り留めもなく気持ちをひたすら文字にした回。