暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

鑑了 ジョー・ブラックをよろしく

夜な夜なアマプラでひとり鑑賞した映画。監督はマーティン・ブレスト、出演はブラッド・ピットアンソニー・ホプキンスクレア・フォーラニ他。公開は1998年だそうですね。うろ覚えの記憶ですが、ブラッド・ピットが前面に押し出された宣伝になっていて、気になるものの当時の年齢(中学生)では、見るのを躊躇っていた気がします。(鑑賞し終わってから考えると、それが正解だったかもしれません)

また、この映画は1934年の映画「明日なき抱擁」のリメイク版で、それが絶賛された映画だったこともあり、本作品は第19回ゴールデンラズベリー賞で、最低リメイク続編賞にノミネートされたこともあるそうです。

 

以下、あらすじ。(Wikipedia参照)

数日間の休暇と称してニューヨークに現れる死神。ある青年(ブラッド・ピット)を交通事故に合わせ、その身体を乗っ取った死神は、ガイド役の人間として、熟年のビル・パリッシュ(アンソニー・ホプキンス)を指名した。青年に会って驚くビルの娘スーザン(クレア・フォーラニ)。彼は、スーザンがその日の朝に出会い、名も知らぬまま一目惚れした相手だったのだ。ビルは一代で大企業を築き上げた豪胆な人物だった。寿命が尽きたが、ガイドをすれば数日間は生きられると聞き、冷静に受け入れるビル。死神を咄嗟にジョー・ブラックと名付けたビルは、家族に「友人だ」と紹介し、会社の役員会議も見物させた。謎の青年を親しげに連れ歩くビルに戸惑う役員たち。青年の中身が死神だと知らないスーザンは、様子がおかしいと感じつつ、ジョーへの想いを募らせて行った。ビルの会社の重役であるドリューは、ある企業との合併話を進めていた。合併先と密約を交わし、合併後にビルの会社を切り売りして、大金に変える思惑のドリュー。何も知らないビルだが、合併先の社風を嫌った彼は、社長の権限で合併話しを打ち切った。窮地に陥ったドリューは、ビルが謎の青年に支配されていると主張して、社長の解任を役員会に認めさせた。スーザンとの仲が深まり、初めて愛を知るジョー。孤独な死神に戻りたくないジョーは、スーザンを連れて行くと言う。それは愛ではないとビルに諭され、スーザンを諦めるジョー。置き土産としてジョーはドリューの悪巧みを暴き、ビルの会社は救われた。盛大な誕生パーティーの夜、これ迄の人生に満足して、ジョーと共に会場を後にするビル。不安を覚えて二人を追うスーザン。そんな彼女の前に、人間に戻った"青年"が、生きた姿で現れた。

youtu.be

感想から言います。たまらん良かった!

俺は「明日なき抱擁」という作品をまったく知らないので、元の作品と比べようがなく、純粋にこの映画だけを楽しむことができました。実はTikTokで上の動画が流れてきたのを見たことが今回鑑賞するきっかけとなったのですが、コメントで「ブラピが一番きれいだった作品」とあったのも理解できます。またクレア・フォーラニもすごく綺麗で、たぶん公開されたときリアルタイムで見ていたら、中学生の俺は一瞬でファンになっていたような気がします。

事前情報として「人間と死神の恋愛映画」であるという頭で見始めたのですが、進めるにつれ、それよりも親子愛の方に惹かれてしまいました。自身の死期を悟ったアンソニー・ホプキンスが演じるビルと、その2人の娘たちとのやりとり。明日も一緒に食事をしようと誘ったり、娘が用意した嫌いなケーキを美味しいといって口にしたり、俺自身が自分の子供に投影する部分があり、見ていてとても切なくなってしまった。そういう意味ではメインがブラッド・ピットではなくアンソニー・ホプキンスなのではないかと思っています。

ラストシーン、ビルの盛大な誕生日会で打ち上げられる花火。そしてそれを一人離れてみているジョー。その光景を後ろから移した描写がとても印象的です。また、ビルがジョーと一緒にこの世を去っていくシーンも、橋の上を歩く二人の後ろ姿だけなんですけど、それまでのストーリーがあるからこそ、まるで親子のように見えてウルっときてしまいました。

最初にも書いたように、この映画は見る人の年代によって印象が変わるような気がします。公開当時の俺のような若造が見れば、それは単に死神と人間の恋愛映画となるかもしれないし、20代~30代だったら近い将来来るかもしれない親との別れに感傷的になるかもしれないし、子供がいれば俺のように親子の絆に切なくなるかもしれない。

そういう意味で、俺の中で名作のひとつとなる映画でした。

ありがとうございました。