暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

コーヒーではかるメンタルヘルス

 

コーヒーは好きでしょうか?俺は大好きです。コーヒー豆を削るあの音といい、ドリップしたときに広がる香りといい、別にゴクゴク飲めるわけじゃないあの苦みといい。あとミルしかりドリッパーしかりドリップポットしかり、それぞれの道具も。けど一番好きなのは、その見ため。コーヒー飲んで仕事したりリラックスしてる自分自身の姿が好きなのかもしれない。いつか見た映画で、強い酒、ブラックコーヒー、タバコには、いまだに強烈な憧れを持ってる。(タバコはまったく吸わないけど)

会社でももちろんコーヒーは飲んでる。たぶん一日3~4杯くらい。朝、出勤してコーヒーを飲まないと「さぁ、始めるぞ」って気分にもならないし、お昼ご飯食べたあとも、コーヒーを飲んでゆっくりしてるから「休憩してる」って感覚を実感できる。それくらい俺にとってコーヒーと仕事はセットみたいなものになってる。

 

ところでだけど、最近やたらと忙しいからか、コーヒーを淹れるときに自分のメンタルへルスが表れているような気がしてきた。会社には、豆、粉、ドリップバッグ、インスタントと4種類のコーヒーを置いているんだけど、まさに「淹れ方=心の余裕具合」だ。

その答えは単純明快で、豆から曳いてコーヒーを淹れるときは、どうしても10分弱の余裕が必要。粉の場合でもだいたい5分程度。ドリップバッグはもう少し早くて、インスタントになると数十秒の世界。うちの会社の給湯室は事務所の外にあるんだけど、どれくらいで戻らなきゃならないか。別にそれなりの立場だから仕事の進め具合は自分で調整できるんだけど、ゆっくりしようと思えるか思えないかで、今の自分のメンタルヘルスが分かる。

最近はもっぱらドリップバッグが多くなってきてしまった。インスタントにまで落ちるまいと思ってるけど、きっと余裕が無いんだろうな。

楽しいから笑うのではない。
笑うから楽しいのだ。

 

アメリカの心理学者でもあり哲学者のウィリアム・ジェームズが残した言葉だけど、今こそ俺にとってはその実践が必要なのかもしれない。

 

余裕があるから豆からコーヒーを淹れるのではない。

コーヒーを豆から淹れるから余裕があるのだ。

 

いや、何か違うか。笑