暁降ちのころ

暁降ち(あかつきくたち)と読みます。40歳から始めた日常の整理、備忘録などを思うままに好き勝手書いています。

流れは止めない方がいい

今週に入り、管理職として仕事のことで激怒(のフリをして)いる。理由は先々週の土曜日の出来事。現場の社員がノートPCの液晶を破損させたという事象がきっかけ。その社員は普段から会社備品の取扱いに難ありで、簡単に言うと雑い人だった。そのときも、その場にいた別の社員曰く『液晶とキーボードにペンを挟んだまま蓋を勢いよく閉じた』のではないか、ということらしい。(直接その場は見ていない)

もちろんその行為も問題ありなのだが、事が大きくなったのはそのあと。当日の土曜日、翌日の日曜日は俺が休務日なので100歩譲り目をつぶるとして、翌週月曜日、何ひとつ報告、連絡はなし。火曜日の朝、顔は合わせてるはずなのに同じく何もなし。見ていても何食わぬ顔をしている。ここで俺の我慢は限界を迎え、夕方に本人、そしてそのときにいた上席職員の二人を呼びだし、次の3点について叱りつけた。

  1. (見ようによっては悪質ともいえる行為で)ノートPCを破損させたこと
  2. それについて見ていても反省の様子が極めて薄いこと
  3. 今に至るまで報告に来ないこと

驚くべきことに、本人は最初、破損させたことについて、まったく反省の色は無かった。それどころか「なぜ壊れたのか分からない」「この暑さが原因ではないか」という抗弁。思わずキレそうになったが、そこはグッとトーンを押さえ、明らかに物理的な圧力がかかった壊れ方をしていること。破損理由をはっきりさせない限り会社として修理は進めないこと。壊してしまったこと以上に今だ報告に来ないことを問題視していること。以上を伝えた。

ここまで言ってようやく事の重大さに気づいてきたのか、段々とシュンとした様子になってきたが、俺も振り上げた拳を簡単に下ろす訳にいかない。毅然と言うべきことは言って、事実についてのみを叱りつける。こういうとき上席職員は可哀そうだけど、どちらかといえば矢面に立たせて。

その後は、本件の対応にかかる社内でのリカバリー方法を指導し、現在は順番にそれを実施させているところ。破損させたことに関する社内報告書の作成。報告が遅れたことによる顛末書の作成等々。

 

組織にいる身として、報告という作業の大事さ。これを痛いほど自覚した経験がある。

10年以上前、俺がまだ現場の部署(販売部門)にいるときのお話。その日が忙しかったのかどうかは覚えてないけど、取引額が上位3つくらいまでに入る大口顧客への納品がひとつ漏れてしまった。しかもかなり重要なモノを。

それに気づいたとき、部署内でも大騒ぎ。結果的には当日に出勤してた社員総出でリカバリーに走り、なんとか大事にはならずに済んだんだけど、ひとつ間違えれば大変な事態になってしまっていた。それで、最後の後始末。こちら社内への報告を誰が、どのようにするかという話。結局は当日に出勤だった上席の係長がまとめるということで決着した。

そして翌日。俺たち平社員からすれば、上席の係長には報告(というか一緒にいてたので承知してる)してるし、あとはお願いしますという状態なんだけど、なんとなく俺個人としては凄く心に引っ掛かりを感じた。嫌な予感とも言うのか虫の知らせとも言うのか。だから、周りからは「勝手に…」って思われてもいいから「後ほど係長からまとめて報告がされると思いますが…」と前置きをしたうえで、責任者に朝一番で俺からも先に概要の報告を行うことにした。

もちろん準備は全然してなかったので、起承転結が全然まとまってなく、起こしてしまったミス、その後の対処方法、結果、そのあたりをグダグダと。報告するうちにもちろん責任者は起きたミスに対して不機嫌になっていったが、最後には「分かった」ということでいったん終了。俺としたら疲労感満タン。

と、次の瞬間に部署の電話が鳴った。相手はその大口顧客の偉い人。開口一番「責任者に代わってくれ」ということらしく、その瞬間、部署全体がヒヤリとした。大事にならずには済んだのは現場レベルだけで、やはり大事は大事なんだと。

 

「申し訳ありません。報告を受けまして、こちらも驚いております」

「今後このようなことがないようにしますので、ご容赦いただければ…」

 

電話口に向かって話をする上司の口調を聞きながら、背筋がぞっとした。と同時に、間に合って良かったという安堵感。これがもし前後してしまっていたら、本当にその後どうなっていたか分からない。(上席の係長の存在っていったい……ということはさておき)

 

俺もおそらくこういう経験をしていなければ、報告・連絡・相談の大事さなんてここまで考えることが無かったかもしれない。極論を言えば、手を差し伸べるよりも彼らが直接的に強烈な経験をした方が、長い目で見れば良いのかもしれないとは考える。だけど俺なりの老婆心。嫌な思いはせずに成長できるならそれに越したことはない。

彼らが俺から叱られたことを教訓に、今後ぐんと成長してくれることを望む。